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2009年 05月 23日
日本政治の変動




日本政治の変動
2009・05・17

何処の国の政治でも、一定期間内に、ある程度の変動は起こる。 日本の政治でも、最近、二つ位顕著な変化が起こった。 

その一つは、民主党代表としての小沢一郎の退陣と、鳩山由紀夫の登板である。 政治献金を巡ってその第一秘書が起訴されている小沢が政界の第一線から退き、別の政治家が、野党第一党の指導者になる事は、日本の民主主義の質の向上の見地から大変望ましい事だ。 数ヶ月後に予想される総選挙の事を考えてみると、かなり顕著な進展だ。

もう一つの変化は、日本の政界で世襲制批判が強くなった事だ。 野党の民主党は、正式に、その政権公約で、世襲制反対の立場を明確にした。 与党であって、世襲制がかなり広く蔓延して居る自由民主党(自民党)の場合でも、世襲制批判の機運は強くなり、中川秀直とか塩崎恭久と言った党の重鎮が、自分の子供に選挙区を継がせる積もりはないと宣言している。 どうやら、自民党でも、後援会とか政治資金団体の相続を巡って、党の方針が間もなく修正されるかも知れない。 此の面でも、日本政治の一層の民主化が進むかもしれない。

ただ、日本の政治では、簡単に変化しない面もあり、その一つは、国会議員を基本的な選挙人として定義している日本独自な総裁選の方式だ。 米国とかカナダの様に、一党員一票、又は、それに近い形に持って行く可能性は、今の処、見られない。 今回の民主党の代表選は、党所属の国会議員のみの間で行われた。 と言う事は、筆者の政治分析仮説によれば、選ばれた鳩山は、当初は世論の支持があったとしても、その支持をその後規則的に失って行く可能性がある事だ。 安部晋三、福田康夫、そして、麻生太郎と言った自民党総裁が辿った道だ。 主として、国会議員だけが集まって、その中の一人を党首として選ぶ方法は、派閥政治の温存に繋がりがちであり、世論の主流から見放された低迷的政治指導性を生みがちなものなのだ。

以上

窪田 明


# by a_kubota1 | 2009-05-23 18:55
2009年 03月 13日
活性化のブログ、20090312


“日本政治の活性化”のブログを見つける方法
2009・03・12

“日本政治の活性化”という記事は、下記のブログに提示されています。

http://blog.livedoor.jp/a_kubota1

それ以外の窪田のブログは、

http://kubota2006.exblog.jp/

http://blogs.yahooco.jp/kubota1002006

# by a_kubota1 | 2009-03-13 09:01
2008年 12月 28日
麻生総裁選の性格の検証





麻生総裁選の性格の検証

窪田 明著


政治現象を分析する場合に、場とか次元と言う概念を導入するか否かによって、問題の理解の仕方が相当に異なって来るかも知れない。 日本に於ける政治過程を究明する場合に、永田町に於ける闘争を主に中心として考察する事にするか、それとも、日本の政治全体に焦点を当て、日本の選挙民全体の動きを本格的に中心にして考えるかそのどちらかに重点を置くかと言う事によって、政治論文の理屈の展開の仕方が自ずから異って来るかも知れない。 永田町政治の対象は、日本では最高のレベルの政治の取引であり、英語の表現を借りるとすれば、court politics (宮廷政治)とも考えられ、国会議員とかその他の国政の有力者の間の関係であり、主として、派閥、族議員、利権とか役職の問題である。 此れに対して、国全体を相手にし、主に選挙民に訴える政治活動の場合には、汚染された食品問題とか、国家保険制度の欠陥の矯正とか失業対策問題の考案とか金融危機対策の模索の議論と言った事柄になる。

勿論、此の二つに異なる次元の問題を一つの論文で同時に扱う事は、可能であるし、日本で書かれている多くの政治記事の場合に、此の様に異なる次元に属する政治問題が、そのそれぞれの背景の次元の差を大体無視された形で、あたかも同じ次元に属する問題の様に一つの知的枠の中で取り扱われている事もある。 その様な問題の取り扱いの一つの例が、自民党(自由民主党)の総裁選と総選挙が連動するか否かと言った問題の取り扱いであって、最近、遠藤浩一教授が、この問題に対応されている(遠藤浩一著、”自民党をぶっ潰す』宣言を 政界再編こそ保守政治家の使命、“「Voice」ボイス、平成20年11月号、通巻371号、148-153頁)。 通常、自民党の党首選では、最終段階で、50%以上の票を握っている集団は、草の根の一般党員ではなく、国会議員であるので、強いて、此の選出過程の背景を理論的に分類するとすれば、永田町政治であって、全国的な政治ではない。 一歩譲って、その全国性を認めるとしても、その場合に、極めて限られた部分的な意味でしか全国性を持たないとしか主張出来ない。 此れに対して、総選挙の場合には、一市民一票を投じ、完全に、限定無しに、全国的次元に属する政治過程と考えられる。

尤も、日本のマスコミでは、自民党の総裁選は、通常、かなり大規模に報道されており、或いは、一部の国民によって、本格的に、全国的な事業と見なされているのかも知れない。 日本でも、予備選挙等と言う表現も使われており、日本の人々の一部は、自民党の総裁選を米国の大統領の予備選挙と大体同じ性質の様なものとして取り扱って居るのかも知れない。 そして、後者の米国の予備選挙の場合に、個々の候補者が、草の根の根の米国の一般市民又は米国の平均的一般政党党員に対して、自己の資質を曝け出して、他の候補者と競争しながらその支持を請うと言う形で、長期間の政治的選択過程を継続しているのである。 筆者の暫定的な解釈では、選挙過程では、米国では主権は実証的に国民に属し、その国民が、各党の一人の最後の大統領候補者をほぼ自由に選んでいるのである。 国民が本当に十分に自分の気に入った人物を最終的には、大統領適任者として選ぶのであって、その結果選ばれた大統領の人気の大衆心理的土台はすこぶる堅固で、当選後数ヶ月程度の短期間内では、そう簡単に崩壊しないのである。

それでは、日本の場合はどうかと言うと、筆者の意見では米国の場合とは事情が大分異なると言うもののである。 自民党の総裁選が、本当に、全国的次元で行われていないのである。 日本の新聞とか雑誌は、一般に、自民党総裁選の細則をそれほど丁寧に説明しないので、或いは、日本の一般市民は、日本の政党総裁選が米国の民主党又は共和党の大統領候補指名の過程と殆ど同じ様なものと安易に想定して居るのかもしれない。 本文では、その様な細則の前面を丁寧に説明する紙面の余裕はないので、その技術的な詳細の説明は、別の機会に譲るが(窪田 明著、「党首の選び方 日本とカナダの差」、東京:冬至書房、2008年)、自民党の総裁選の場合には、その最終レベルに於ける有権者の構成を一見すれば、その次元の本質的性格が極めて明白に検証出来るのである。

2008年9月22日の自民党総裁選の最終段階での有権者の構成
分類人数
衆議院議員303
参議院議員83
都道府県連代表141

合計527


分類人数百分率
国会議員38673.2%

都道府県連代表14126.8%

合計527100.0%


詰まり、七割以上の有権者が、国会議員なのであって、この様な場合に、選挙母体が永田町であるとは主張出来ても、全国津々浦々の草の根の一般自民党員であるとは言い難いのである。 尤も、日本の一部の方々は、「国会議員全体は、日本の国民の総意を代表する人々であって、従って、党首を国会議員に選ばさせても、又、そうではなく、党員全員の一党員一票の形で選ばさせても、結果は同じであるとか同じになるべきある。」と主張されるのかも知れない。 日本の知識人で、国会議員重視の現行の党首選の方法に異論を出す人は少ない様だが、その一つの理論的理由は、此処に掲げた「国会議員の総意即ち国民の総意」を言う考え方であるのかも知れない。

しかし、実証科学としての政治学の課題として、「国会議員の総意即ち国民の総意」と言う理論は極めて、疑わしい命題なのである。 少なくとも、米国とかカナダでは、党首の選出に関して、その様な理屈は、70年、80年,100年位前にすでに破棄されいるのだ。 現在、北米で、党大会がある際に、その全代議員の内で、国レベルの議員の占める割合は、一般に、一割にも及ばず、日本の様に何時でも五割以上で時には七割と言う様な大きな数字になる事はまずない。 最近日本の政治に導入された用語で、ポピュリズムと言う表現があるが、米国では、元々、この運動とかもうひとつのProgressivismの運動が追及した一つの基本的な政治改革の目標は、党首とかその他の高い地位の政党の役員の人事の仕事を政治のボスの手から取り上げ、一般党員の手に移す事であった。 政党内部の人事の民主化を目指していた。 そして、その結果生まれて来たものが米国の予備選挙制度なのであるが、振り返って、日本の政治の場合には、現在の処、ポピュリズムを予備選挙に結び付ける様な政治議論を展開する政治家とか政治団体は余りいない様だ。 日本の政治家とか政治学者は、一般的に、党首選の細則に関して、余り関心がない様だ。

更に、日本の場合に、世襲と言う問題が国会議員の代表性とか民主性の問題を一層深刻なものにしている。 日本の自民党の場合に、約五割の国会議員が、世襲であると言われている。米国の場合には、一般に、一割以下と推定され、日本とはかなり異なる様だ。 民主主義の基本的な原理の一つが、個々の草の根の選挙民が「多数の候補者の中から全く自由に彼等を代表する政治家を選べる」と言う理屈であるが、世襲と言う制度は、その逆行なのである。 世襲とは、もうすでに選択されているものをそのまま受け入れるか又は拒否かと言う非常に狭い選択の事態に追い込まれると言う事である。 世襲性の強い社会環境の中では、必然的に、同質的な社会的親族的グループ団が強くなりがちであり、政治ボスの君臨する可能性が高くなるのである。 勿論、立法とかその他重要な国事の為に、国会議員自体は、国政上、必要であり、欠く事が出来ない職業集団であるが、その反面、一般の議員は、人事を主な仕事として明確に意識して、選挙で選ばれている訳ではないので、党首選出の様なそれ一つだけでも重要な作業の場合には、人事専門の独特な選挙が必要であり、その様な特殊の選挙が北米では一般にprimary(予備選挙)と呼ばれているのだ。

確かに、日本でも、党首選で、予備選挙と言う表現は使われているが、日本の場合には、その様な経過を経て選ばれる代議員の人々は、最終段階で、大会の全代議員の五割以上の票を握っている訳ではないのだ。 前掲の表が示す様に、予備選挙で選ばれる代議員は、日本の場合、都道府県連代表に当たり、最も最近の全国党大会では、その数は三割にも満たないのだ。 残りの七割以上は、国会議員なのだ。 詰まり、日本の場合には、新しい党首を選ぶ場合に、全国的に、草の根の一人一人の平均的な党員の意見を真正面から真剣になって取り入れる形の選挙過程構造になっていないのだ。 米国では此の課程に一年近く費やすが、日本の場合に、多くても一月位なのだ。 従って、日本で、新しく自民党の党首となる人物は、党首選が終わった時点で、選挙民一般の間に十分の力強い支持地盤が出来上がっているかどうかかなり怪しい政治家なのだ。 仮に、現在の形の党首選が続くとすると、日本の首相は、実証的には、恐らく安定した大衆心理学的な土台のない人にならざる得ないのだ。

日本の政局にとって、問題は、日本の社会では、世論調査自体は、容赦なく、その後も、かなり頻繁に、実施され、その結果が現存の内閣の安定性に強い影響を与えている事だ。 二、三十年前と比べると、日本の政治での、世論調査の役割が顕著に強化された。 選挙中に手抜きされていた一般党員の党首支持層の獲得の問題が、党首選後、再生され、新首相の規則的な人気喪失がほぼ必然的に宿命的に浮上するのである。 米国では、新しい大統領のオバマ氏が現在米国民---そして、広く、世界の市民一般---の間に大変な人気があるが、此れは、何も大統領選の始めから天命的に与えられたカリスマではなく、その大部分が、オバマ氏自身が、個人的に、一、二年掛けて、汗水流して、米国中を駆け回って作ったものなのだ。 翻って、現自民党党首の麻生氏の場合には、今迄、それに対応する草の根の次元の努力は殆どして来ていないのだ。 次元的に、そして、マスコミの紛らわしい表面的な報道の問題を除くと、麻生氏の選挙運動は、その大部分が永田町を舞台にして行われて来ているものの様なのだ。 その跳ねっ帰りが、2008年秋とか冬に掛けて起こった悲劇的な麻生内閣の世論の支持の崩壊なのだ。 付けが回って来たのだ。 手抜きは危険なのだ。 本論文で行った様に、政治の次元を明確に分類して、そして、選出過程の細則に十分注意を払って検討していれば、此の様な悲劇的結果は、ある意味では、必然的で、多分、前もって歴然と判明している事であって、自民党執行部の幹部の一部が全然予期していなかったとは言い難い事柄ではないのか。

2008年の麻生総裁選は、「豚に口紅」と言った表現を使って、米紙ニューヨーク・タイムズに酷評された。 それ以外でも、日本のマスコミからも、その大部分から「盛り上にがりのない運動」と批判された。 党首選の予備選挙の投票率は低かった。 その様な数多くの批判の際に、次元とか政治家の全国党大会の代議員の票の独占の問題は、多くの場合に触れられていなかった。 本論文で明確にしようと努力した事柄は、「米国の大統領選の場合には、草の根の一般市民の間に、本当に、大統領を選ぶ機会とか権力が実質的に与えられ、従って、米国民は、大変興奮した形で、立ち上がり、真剣に選挙戦な参加」したが、「日本の場合には、麻生党首選では、国会議員がその過程で主な役者となり、その結果、彼等の狭い仲間の代表の選出であると国民から見なされ、その他の平均的な一般党員は、お飾り的な役割しか与えられず、一般選挙民は、此の選出過程に、精力的に参加する可能性がなかったものと見なした」と言うものである。 麻生党首選では、自民党執行部は全国各地で討論会を企画し、あたかも全国民的な過程であるかの如く演出しようと努力したが、日本の一般選挙民からは、大体、本質的に「宮廷政治」であると見なされたと言う事であったのか。 本当に意義のある機会が与えられているか否か日本のマスコミで活躍する大多数の評論家は見破れなかったのかもしれないが、草の根の平均人は見破っていたと言うのか。

日本の場合に、現役の政治家が、私的理由を含めて、様々な事情の為に、現存の政治問題の本当の急所に触れる事を避ける事は理解出来ると思うが、しかし、政治評論家、政治学者、その他知識人の場合はこれは又別だと思う。 筆者が不思議に思うのは、後者の型の批判者が、現在の日本の当面する大変に深刻な政治問題を究明する際に、何故もっと新しい視野とか概念を動員し、未紹介の資料を提示し、そして、問題を科学的に更に深く掘り下げるとか、先進民主主義国の前例とも対照比較して新研究をする様に努力をするとか、更に分析の質的なレベルアップをしていないのかと言う点である。 或いは、国際文化の擦れ違いの為にこの様な問題を乗り超える事は現実的に無理なのであるのか。 生きた民主主義を育成養成するのには、絶えず、莫大で、且つ、独創的な努力が要るのではないのか。 日本の政治指導性の研究には更に革命的な努力が必要ではないのか。

以上


***
麻生総裁選挙の性格の検証
20081227a

上記の論文のダウンロードをご希望の方は、窪田のブログをご利用出来ると思います。 その一例は

http://kubota2006.exblog.jp/

です。





# by a_kubota1 | 2008-12-28 19:07
2008年 12月 15日
民主主義の理解に関して日本とカナダの差

民主主義の理解に関しての日本とカナダの微妙な差---党首選の実施に関して

窪田 明


2008年の終わりに近い12月10日に、カナダの大政党が新しい党首を選んだ。 此の際には、せっぱ詰まったカナダの特別な政局の事情もあり、通常の一党員一票の党則を適用する様な時間的な余裕がなく、両院議員総会(caucus)によって採決され、ある意味では、日本の大政党が行っている様な形の国会又は連邦議員総会のみによる選出の方法みたいな手段が使われた。

此処で問題になっている政党はカナダの自由党(Liberal Party)である。 現在は、野党であるが、歴史的には、過去百年間の内、70年位政権を握って来た政党であり、カナダ連邦政治の中心的な政党であり、現在は、諸派の間の正式な連立成立の実態状況によっては、その党首が数ヶ月内に、カナダの総理大臣になるのかもしれないと言う事情があるのだ。 詰まり、実権を持たない暫定的な党首代行を選出したのでは、その場合に、その人物をすぐに総理大臣にする訳に行かないのであって、だからと言って、その反面、自由党の本来の党則の原則に従って、本格的に、一党員一票の方法で、党首を選んでいる時間的余裕がないと言う特別事情があったのだ。

日本では、党首選では、大体、一ヶ月位の時間しか使わず、そして、お飾り的な形で、普通の党員もその過程に参加するが、本質的に、最高段階での投票結果の算定する際に於いては、国会議員が、その全体の五割以上の票を握るという形で、算出されている。 場合によっては、通常党員参加を完全に除去して、国会議員だけで、完全な実権を持った、詰まり、代行でない、本格的な党首を選出している。 日本の政治用語では、その様な集会を両院議員総会と呼ぶ。 その面に関しての考え方は、与党の自由民主党(自民党)の場合も、野党の民主党の場合も大体同じ様だ。 筆者は、党首が選出される際に、日本に滞在した体験がしばしばあるが、筆者の受けた印象は、日本の政治家の持つ通念は、「党首は原則として、又は、究極的に、国会議員によって選ばれるものであって、若し、役職を持たない普通の党員が、その過程に参加するとすれば、それは、泡沫的なもので、補足的なもので、中心的なものではない。」と言うものであった。

詰まり、党首選挙での候補者とかその他の大政治家が、公開の場で、一党員一票(one man one vote)の過程を強く主張すると言う様な現象は日本の永田町では殆ど見られなかった。 表現を変えて説明して見ると、「党首は、草の根の意見を反映すべきだ」と力説し、その様な考え方に応じた具体的方法の採択する事を熱弁する政治家は、日本には余りいないのだ。 ましては、それ以下の政治家、政治評論家、大新聞の論説等が、党首選に於ける平均党人の意向の重視を強調する事は殆ど見られないのだ。 米国とかカナダの予備選挙の様に、党首候補者が、全国の津々浦々を訪れ、半年とか一、二年以上かけて精力的に草の根から代表を選び、数千名の代議員によって一堂で党首を選ぶ事の必要性を力説する論客は日本では余り見かけないのだ。 或いは、政治運動方式として、その様な論法を使って、大衆の支持を得ようとする政治家は殆どいない様なのだ。 此の面では、2000年代の始めの小泉純一郎氏の政治活動方式は近代日本政治史では例外的の様だ。

尤も、日本の場合には、かって予備選挙制度を一時的に採用し、その結果の実績を、現在、多分、否定的なものと解釈しており、多くの政治関係者が、現在、「日本の政治風土には、予備選挙は。向かない。」と言う結論を出しているのかも知れない。 その典型的な例が、主に、大平正芳氏と福田赳夫氏の間で戦われた1978年の予備選挙であった。 論者によっては、「予備選挙は、大統領制には適するが、議院内閣制には向かない。」と主張しているが、厳密には、カナダでは党首選に予備選挙が現在実施されており、カナダの様に議院内閣制下の場合でも、予備選挙を適用する事には問題がない事が既に判明しているのだ。 それから、日本では、仮に、予備選挙制が採用されていた際でも、一人の候補者が、過半数を獲得しない場合には、その次の段階で、両院議員総会で採決されると言う方法が使われていると言う事情があったのだ。 詰まり、日本では、予備選挙を採用したとしても、国会議員重視の哲学は完全には排除されていなかった様だ。

今回のカナダの党首選の場合に、政局を目前に控えると言う特別の事情があって、一見、党首が両院議員総会で、選ばれて仕舞ったと言う形の解釈も出来るのかもしれないが、厳密に調べてみると、本来の一党員一票の原則も、実は、最小限の形で保持されていた。 正確には、法的には、12月10日の両院議員総会(caucus)で、決定したのは、党首代行(interim party leader)の被推薦者決定であって、正式な全権を持つ党首(party leader)の選出ではなかったのだ。 その党首代行に選ばれたのが、Michael Ignatieff氏だったのだ。 Ignatieff氏は、同じ日ののち程に、更に、両院議員総会の議決を基礎に、自由党の最高機関の全国党執行部会議の議決で、正式に党首代行に選ばれているのである。 Ignatieff氏は、法的には、2008年12月10日の時点では、党首代行になったのであって、本格的な党首になった訳ではないのである。 ただ今までのカナダの党首代行と異なり、今回の場合には、党首代行が総理大臣になる事が可能であると関係者に了承されている点が特記すべき点であって、その意味で、今回の決定は日本の自民党のそれに似ているのである。

但し、カナダの場合には、法的には、Ignatieffに氏とって、2008年末の時点では、本式な党首になる政治過程が未だ残っており、今後約半年を掛けて、全国的に回り、代議員を選び、2009年の5月に四、五千人の代議員を集めた全国大会をバンクーバーで開き、其処で、正式に選ばれる必要があるのだ。 今回でも、草の根からの代表による選出政治過程は、完全に無視された訳ではないのである。 ただ、実質的な政治競争問題としては、大体、2008年12月10日の時点で、党首選出問題は、終了してしてしまっているとも考えられるのである。 詰まり、Ignatieff氏が、党首代行になり、連邦議会の下院の審議の際に、自由党の議会内最高指導者(parliamentary party leader)として活躍し始めるとすると、それ以外の自由党の有力政治家が、効果的な形で、Ignatieff氏の全国的な地位に挑戦する事は非常に困難になるのだ。

憲法とか党則は、人間の作ったものであり、常時100%完全である訳ではないのだ。 今回、カナダの自由党は、その党則の不備の為に、一党員一票の原則を完全な形で、実践に移す事が出来ず、日本の自民党の慣行にやや似た両院議員総会中心的な原理の下に、新党首を選出した。 ただ、その事のカナダ側からの弁解も可能であり、一つの大きな理由は、既に述べたように、自由党中心の連立内閣が、数週間内に正式に成立する可能性があって、少なくとも数ヶ月を要する党則に明記されている本来の手間の掛かる政党組織代表選出制度を適用する訳には行かなかった事だ。

それから、日本とカナダが大きく違う点は、カナダの党首候補者とか有力な政治家、そして、評論家の多くは、党首選に関して、頻繁に、”one man one vote”の重要性を強調している事だ。 全党員が同じ比重の一票を投じ、全国的に、四、五千人の代議委員を一堂に集めて、投票させる方式が、正しい方式の民主主義運営方式であると言う信念の昂揚が、マスコミを通して、繰り替えされている事だ。 そして、その様な方式を今回は前もって実施出来なかった点に関しての批判とか後悔がなされている事なのだ。 日本には、大新聞が存在し、数多くの優秀な政治評論雑誌も存在する。 しかし、筆者の調べた限りでは、残念ながら、その様な刊行物が、自民党員とか民主党員の全員のそれぞれが、全く同じ重さの価値のある票を投じて、そう言う完全な民主主義的な形で、党首を選ぶべきだと論じた趣旨の社説の実例を筆者は日本で一度も見た事がない。

北米には、原則的に、都市毎に、別個の新聞が存在する。 筆者の常住する町にも小さな新聞が存在する。 そのWindsor Starの12月9日号の社説では、党首選での”one man one vote”と全国的代議員党大会の重要性を力説している。 此の町は、首都オタワから南西約900キロの処に存在し、人口は、約二十万に過ぎないが、民主主義の一部の微妙な側面に関して、小さな田舎のカナダの新聞が異常な熱意を示していることが、筆者の注目を引いた。

それから、Ignatieff氏は、前回の2006年の党首選に出馬しており、既に、その際に、第一位を獲得しており、だだ、過半数を得なかった為に、当選出来ず、大会中に、三位であるDion氏と四位であるKennedy氏が連携して、Dion氏が最終的には当選して仕舞ったのだ(窪田 明著,「党首の選び方 日本とカナダの差」、東京:冬至書房、2008年)。 従って、Ignatieff氏は、一部の日本の党首候補者とは異なり、既に、相当の草の根の強い支持のある人なのである。あい カナダの「支配階級」だけの代表でもない様だ。 それから、彼は、過去に大学教授であったと言う事も、彼の人気の一因の様である。 日本でも、学者から政治家になった人は、一般に、選挙民の間で好評の場合が多い。 少なくとも、Ignatieff氏は、長老とか政治のボスが、葉巻の煙に満ちた部屋に集まって密談の結果選びそうな政治家の一人とは考え難い型の人物の様である。

ちょっとした微妙な差であるが、カナダの民主主義と日本の民主主義は、現在の処、多少異なるものと思えてならない。 国家間の憲法上の差とか大きな政治制度上の差も大事であるが、小さな差も、時には、完全には無視出来ないかも知れない。 小さな差も、「チリが積もると山になる」様に、沢山、集まると、大きな差になるかもしれない。 その様なチリの集まりの山を「政治文化」とも呼ぶのか。 一文明で数百年掛けて育成した来た一群の政治慣行を、かなり異なったと考えられる文明の属する一大国に完全な形で移植することは容易な事ではない様だ。 

現在、日本の麻生内閣は、国民の支持を急速に失いつつあり、日本の政治は、大変な危機に面している。 一部の海外在住の日系人にとって、「日本は、何故あれほど政治に弱いのか。」と不思議に思われるのだ。 筆者の過去数年間主張して来た仮説は、「日本では、党首の選び方が、完全に民主的でないので、日本では、それが一因で、本当に充分に国民に受け入れらる政治家が、首相になれない。」と言うものだ。 その様な評は、外部の者の性急な表面的な印象かも知れないが、「指導者が人気がないとすれば、指導者を選ぶ方法を総括的に徹底的に精力的に検証して、本質的に抜本的に改正したらどうなのか。」と言うものだが、現在の処、党首の選び方に関しての大議論は、日本の永田町には存在しない様だ。 此の問題は、日本のインテリの関心を殆ど呼んでいない様だ。 或いは、文明の衝突又は国際相互理解の際の文化の落とし穴なのか。 自然科学研究と異なり、政治学研究では、実験は余り簡単に出来ないし、勿論、その様な厳密な探求の結果とか結論を実証する事も難しい。 上記の様な説明は、筆者の持論を釈明するのに多少なりとも役立ったであろうか。


以上


カナダの党首、2008年、20081214d


# by a_kubota1 | 2008-12-15 10:03
2007年 04月 12日
紹介


インターネットで、”窪田 明の考えから”を捜索しますと、窪田 明の「米国在郷軍人と真珠湾攻撃」と言う小文が見つかる筈です。


窪田 明
2007・04・11

# by a_kubota1 | 2007-04-12 02:53
2007年 04月 02日
真珠湾攻撃



赤堀篤良さんへの返答
窪田 明
2007・04・02

赤堀さんの2007年3月31日13:48の評に対してお答えします。


最初に一つ弁解させて頂きますと、小生には、赤堀さんの多くの質問の中心点とか意義が、現在の処、必ずしも、完全に全部理解出来ませんので、或いは、回答が周辺的で、問題の急所を突いて居ない危険性があります。

外交文書、条約、軍事記録等の公の記録は、歴史の研究には欠かせませんが、だからと言って、それだけに頼る事も危険です。 例えば、イラク戦争の起源など、今、マスコミへの秘密情報の流失のため、ある程度、真相が分かって来ましたが、これを正式に公開された公文書にだけに頼って居ますと大変な事になったでしょう。 同じ様な問題は、米国のベトナム戦争参加についても言えると思います。 後日の米上院の特別審査活動によって、かなり新しい情報が出て来ました。

米国の議会は調査と称して、真珠湾攻撃に関して、十巻以上の正式な報告書を発表しました。 大変膨大なものです。 偉大なる知的作業です。 それでも、多くの人々にとって、そんなものを精読しても、真相は分かりません。

ハル・ノートも確かに日米交渉には、大事な要素ですが、これだけで、真珠湾攻撃が米国の陰謀であったのかそうではないのかを決める事は危険だと思います。 例えば、それと、同じくらい又はそれ以上に重要なものは、ルーズベルトとかチャーチル個人の対日観、対日系人観で、最近には、その点で、様々な特別資料を使った新しい研究も発表されて居ます。

赤堀さんは、「歴史は考える学問であると理解しております。 過去を正しく理解 。。。」とお
っしゃいますが、これは大変な難行だと思います。 そう言う事は簡単であっても、実情は、なかなか実行出来ない様です。 学校の教科書の編集に政府が関与するのは、日本の場合だけではありません。 それから、何処の国にも、御用学者みたいな歴史家がおり、歴史学会自体が、必ずしも客観的に機能しない場合もあります。 歴史と、例えば、愛国心との関係は一般に深いです。

赤堀さんは、「どちらの国がただしかったか?」と言う事には、関心がないとおっしゃいます。 しかし、その反面に、同じ評の最後に二ページで、日本の戦争犯罪を指摘して居る様で、「日本が悪かった」と主張して居るみたいで、この辺が矛盾して居るような気がします。 日本の方で、対米議論の際に、米国の対日原爆行使の問題を取り挙げる人々も相当数いるでしょう。 秋葉忠利氏だけではないでしょう。 歴史の正しい理解の難しさは、日中、日韓関係だけではありません。 ただ、良い悪いの問題と、真珠湾攻撃が米国が意識的に仕掛けた罠であるという歴史的事実は、多少異なると思います。  

外務省の人でも、多少、陰謀説に理解を示す人も居る様で、その一人は、元サウデイ・アラビヤ大使岡崎久彦氏でです。 陰謀説論者とも言われる人の書物を翻訳して居ます。

小生の議論した限りでは、日本の方で、「陰謀論は、日本に都合が良いので、大いに広めましょう」
と主張しているとかその様な本音を隠して、あたかも客観的な様に発言して居る様に印象付け様として居る人々に殆ど会った事がありません。 皮肉な事に、真珠湾攻撃に関しては、日米両国民のかなり多くの人々が、自分の国に都合の悪い解釈を一生懸命になった主張して居る様です。 それから、ケナン等は、最初から大仕掛けの交戦すると、大戦が終わって見ると、全体的に纏めてみると、戦争の被害が少ないと主張して居ます。 どうやら、ケナンとかその他の多くの米国の外交政策立案者が、真珠湾攻撃直前の交渉が、本当に100%平和を求めるものではなかったと考えて居た様です。 米国の一流の歴史家で、その様な考え方をする人々は、かなり存在します。

「門戸開放」に付いて、米国の後進的帝国主義的立場を正当化するものだと言う説には、賛成です。 ただ、此の様な理論は、広い国際政治の場で、他国の支持を得るのに都合が良く、逆に、日本の「欲張りな露骨な」侵略政策が、不利な訳けです。 この辺が米国の要領のいい点で、別に、小生は、米国の主張を額面通りにとっている訳ではありません。 (確か、米国は、その当時、フィリピンに関しては、西欧式の古い形の勢力分野に基ずく植民地主義を実施して居た様です。)

国際政治は、ある意味では、ヤクザの縄張り争の様なもので、その世界では、多くの場合に、暴力は最終的に決定的ですが、ある程度の仁義も通用する事もある様です。 ヤクザは、麻薬の取引で大変な収入がありますので、その縄張りを明確化せざるを得ません。 英国も、一時は、中国で、麻薬を販売しました。 それから、或る意味では、米国に比べ、英国はやくざ的にギブ・アンド・テイクを好む可能性が高く、赤堀さんが色々な外交文書を分析される際に、此の点にお気ずきになったと思います。 石井ランシング協定辺り迄、日米両国は、やくざ的に旨く相互の利益を調整し、妥協したが、それ以後は、米国の持ち出す独善的な「門戸開放」その他の抽象的な原理の為に日米間の衝突が激化したと解釈する事も可能です。 大杉一雄さんはその説に賛成の様です。 (因みに、「門戸開放」は米国の国内政治でかなりの支持がありました。 一見道義的に格好の良いものでした。)

それから、小生の目から見ますと、日本のマスコミの一部も、一生懸命になって陰謀説を否定しようとして居る見たいだと思います。 その一例が、Jeannette Rankin下院議員の場合です。 彼女は、ほぼ明確に陰謀説支持者で、彼女のした演説とか彼女に関する本はその点をかなり明確に指摘して居ます。 その多くは、日本語にも訳されて居ます。 しかし、例えば、日本の「朝日新聞」が、彼女の業績に触れる際に、高潔なる平和主義者と紹介し、現実的な真珠湾攻撃陰謀説支持者とは、説明しません。 何かメデアで、知的なすり替えが起こって居る様です。 “「朝日新聞」が大体、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判〕の線を強く押して居ると言う解釈に反対する人々はあまり多くないと思います。

米国のかなり多くの人々がどうやら陰謀説を信じて居り、連邦議会の議決まで存在すると言う場合に、日本の真珠湾攻撃研究者が、頑固に陰謀説を門前払いし、頭から否定するのも変な話だと思います。 小生は、国際文化交流を長年研究して来ましたが、まだまだ、日米間のすれ違いはかなり多いい様です。 その様なすれ違いは、現在多くの日本の知識人が考えているより大きい様に思います。 小生の予感では、日本の一部の知的社会では、真珠湾攻撃論争は当分の間かなり熱烈な形で続きそうです。


以上





# by a_kubota1 | 2007-04-02 17:28
2007年 03月 27日
赤堀篤良さんへの回答


赤堀篤良さんへの回答
2007/03/26

窪田 明著

最近、大杉一雄さんが小生の真珠湾本を評価して下さり、それに対して小生は、 既に、に反応しました。  その後、赤堀篤良さんが、その討論に加わりました。 因みに、問題の書物は、「真珠湾攻撃 気になる若干の事柄」(東京: 冬至書房、2005年)です。

赤堀さんの評は、インターネットで、「赤堀篤良」又は「真相」を探しますと見つかると思います。 赤堀さんの論旨は、「真珠湾攻撃陰謀説」の強い否定です。 此の歴史的な問題の赤堀さんの評で、小生の書籍が、特に、赤堀さんの批判の中心点にはなって居るかどうかについては、余り自信はありませんが、赤堀評は、真珠湾攻撃陰謀否定説の核心的な問題点にスポットライトを当てて居る様で、重要なものであるかも知れませんので、その主な側面に付いて小生の意見を述べさせて頂きます。

大杉さんの場合は、その一つの主な論旨は、彼の研究は、近代国際関係史の研究で、その中で、真珠湾攻撃に触れ、真珠湾攻撃自体の真相に付いて、特に、深く追求したものではなく、その主な目的は、小生の書物のそれとは多少異なると弁明されて居る様でした。 大杉さんの評と小生の返答は、小生のブログに掲載されて居る筈です。

赤堀さんの歴史的政治的分析は、大変立派だと思います。 職業的な学者でなくても、高級なお仕事を為されて居り、感銘して居る次第です。 しかし、多少補強する事も可能の様で、その様な意味で、三、四の点を此処で付け加えさせて頂きますと、その一つは、戦前の日本と米国との関係は、ある意味では、「勢力分野」と「門戸開放」の対立の問題でした。 日本は、自分の身近の極東に、自分の都合の良い「縄張り」を作ろうとして必死の努力をしたのに対し、米国は、「そんな特別は権益地帯は認められない。 誰でも自由に参加出来る筈のものだ。」と反応しました。  日本の一部の人々は、米国に対して、米国が、当時、北中南米で実施して居た様な「モンロー主義」をアジアの日本の場合にも主張したのですが、米国には相手にされませんでした。 米国は、新しい形の帝国主義の国で、或る面では、古い欧州の帝国主義国の政策と異なる外交政策を追求し、その欧米間の外交政策の差は、赤堀論文では、必ずしも、明確化されて居ない様です。 例えば、米国は、英国と異なり、その頃、中国に領土とか勢力分野を保持して居ませんでした。

第二の点は、チャーチルと言う人物の人柄です。 或る面では、やんちゃと言うか、型破りと言うか、無頼漢と言うか、とてつも無い様な特異の企画を考えたり、遂行しかねない人物でした。 1940年代に首相になる前に、閣僚として、対外戦争で、大敗したり、英国のイラク占領で、かなりの問題を起こした人物でした。 近代の大政治家で、対外活動で諜報活動をかなり大きなスケールで対外諜報工作活動に従事した人物としては、最初の人かも知れません。 一匹狼と言うか、首相として、彼が内閣を作った時は、一人で始めた内閣で、最初は、支持する政党が居ませんでした。 確か、彼の介入による独軍内の情報霍乱操作の結果でしょうか、英軍は、ダンカークを無傷に撤退した様ですし、それから、ナチの最高幹部の一人のヘスは、同じ様に、英国の諜報活動に引っかかり、隠密的に英国を訪れて、外交交渉に従事し、ドイツは結局は失敗して居ます。 第二次世界大戦後のノーベル賞受賞者としての最高級の世界的政治家としてのチャーチルの大衆像とそれ以前の若い頃のチャーチルのそれとは大いに異なります。

真珠湾攻撃直前の英米関係を一覧すれば直ぐ分かる様に、その当時、チャーチルは、ワシントンのホワイトハウスに入り浸りでした。 その頃の現地のマスコミの噂は、「ルーズベルトはチャーチルの戦争に引き込まれている。」と言うものでした。 赤堀説の如く、確かに、英国は、米国の対独戦参加を強く望みましたが、それと同時に、米国の対日戦参加も強く希望しました。 ワシントンで、ハル・ノート交換中に、英国が、一部の対日条件として、特に過酷なもの添加した事は良く知られて居ます。 更に、ロンドンで、真珠湾攻撃報告入手と同時に、チャーチルが大変喜んだと広く伝えられて居ます。 当時、英国にとって米国は、最大の同盟国でしたが、その国の海軍の大部分が奇襲攻撃で大破されたと聞き、歓喜すると言う成り行きは、どう見ても、何か特別な説明が要ると思います。

それから、此の日英米交渉で、英国は、自分の立場を全部米国に任せて居る点が、奇妙な対日接近法です。 第一世界大戦当たり迄は、英国は世界一の強国と考えられて居ました。 その様な国が、その二、三十年後には、自分の国際政治上の独立の立場を伏せて、他の別の大国に、「戦争か平和か」の大交渉を全面的に依頼して居る事です。 世界の外交史に余り例のない交渉方式です。 第二の大国が第一の大国に、外交交渉を任せると言う事に付いて、外交問題研究家で、此の点に付いて、特別な関心を示し、特に、此の問題だけを集中的に研究されたと言う話は余り聞きません。 小生の調べた限り、その様な前例は余り無い様です。 因みに、当時の駐日英国大使と英国首相のチャーチル氏との間に、かなりの意見の対立があった様です。 一部の英国の現地報告が、公式に抹殺された様です。

赤堀説では、当時、米国は、欧州とアジアと二面で同時に戦う事を避けようとしたと言う説明をして居ますが、或いは、米政府の一部には、その様な説があったかもしれませんが、米国外交史の大物であるジョージ・ケナン氏は、それとは反対の立場を取って居ます。 第一世界大戦の米国の大きな失敗の一つは、大国である米国が最初から堂々と参戦し戦わなかった事との事だと主張して居ます。 それ以外に、ケナンは、かの有名な「アメリカ外交50年」で、当時の日米交渉で、主導権は米国側に在った事も認めて居ます。 小生は、高く評価している研究です。

真珠湾攻撃陰謀説は、かなり複雑なもので、小生が、赤堀説の反論を述べ続けて行きますと、直ぐに、一冊の書物になるかも知れません。 その証拠がかなり豊富に提示されて居る書物の一つは、今野勉著、「真珠湾奇襲 ルーズベルトは知っていたか」(東京: PHP研究所、2001年)です。

後一二付け加えますと、その一つは憲法論です。 多くの日本の真珠湾攻撃研究では、米国の憲法問題が省略されて居ます。 その点は、赤堀論も同じです。  重要な点は、米国では、開戦には、あらかじめ連邦議会の議決が必要なのです。 日本が真珠湾を攻撃する迄は、米国の議会は、第二次世界大戦に参加する事を強く反対して居ました。 それは、別に、米国の政治家が日本の外交政策を容認して居た訳ではなく、その奥底の理由は、若者を戦場に送り、殺されたり、傷つけられたりする事に反対だからでした。 ルーズベルトも真珠湾攻撃直前迄、開戦反対でした。 少なくとも、公的にはそう言う振りをして居ました。 選挙で具合が悪いからです。 従って、米国の憲法違反問題を避ける一つの方法は、米国側としては、日本が米国に対して最初に手を出す様に万事物事を持って行く事でした。 英語では、その事を、”Maneuvering the Japanese into firing the first shot.”と云います。 かの著名な平和主義者のジャネット・ランキン下院議員は、その点で、議会内で、ルーズベルトを攻撃して居ます。

別名では、この様な「相手に先に手を出させる」と言う対外方針は、時には、米国政治では、「裏木戸接近法」("backyard gate approach”)とも呼ばれ、一部の専門家にとっては、米国政治史のイロハみたいなものです。  米国憲法を事実上「素道り」する方法ですので、歴史家ビアードも、「此の様な誤魔化し」に強く反発して居ました。

現在の処、日本では、真珠湾攻撃陰謀説は、余り人気がありません。 筆者は、多くの日本の人々とその点で、議論をして来ましたので、その事は良く知って居る積りです。 中には、陰謀説の本は、皆、発禁になるべきだと言う様な調子の研究者も居ます。 少数の日本の方々にとって、感情的に許せない事柄らしいです。 怒って居るみたいです。 或いは、筆者に、婉曲的な形で、「その様な本をお出しになりますと、貴方の将来で、差し支える様な事が起こるかも知れません。」と親切に忠告して呉れる方も居ました。 外務省のOBで、大使などを体験された方々と話しして居る際に、真珠湾攻撃陰謀説に付いて触れ様としますと、何か、大変に迷惑な話題だと言う様な反応が戻って来る事もあります。

最後に、もう一つ、真珠湾攻撃陰謀説支持の証拠の一つを挙げますと、米国の連邦議会の議決です。  極く最近まで、米国政府の公式の弁明は、「現地のハワイの最高司令官であったキンメル提督(海軍)とショート将軍(陸軍)の職務怠慢」と言うものでした。 処が、クリントン大統領の時代に、此の判定を覆す議決案が連邦議会の上院・下院両者を多数決で通可しました。  詰まり、2000年代に於いて、米国社会では、真珠湾攻撃陰謀説は、少数の奇人とか変人の「途方もない」夢物語ではないのです。  米国の多くの草の根の人々が既に受け入れて居るのです。 従って、いくら、日本の研究家が、頑張って見ても、米国の多くの人々の意見を変える事は無理かも知れません。 (尤も、他方では、多くの日本の知識人等も、彼等の意見を簡単には変えないかも知れません。)

しかし、流石に、上記の法案には、クリントン大統領は、署名する事を拒否しました。 此れは、筆者の憶測に過ぎませんが、若し、大統領が署名しますと、その後に、大変な一連の損害賠償の訴訟の問題が起こり、米国の司法機構の大混乱が起ったのかも知れなかったのでしょう。 米国政府にとって、財政的に大変な事になったかもしれません。 没後であっても、ルーズベルト大統領に対しての何らかの処分があったのかも知れません。 極東国際軍事裁判の現存の判決の意義の修正の問題が起ったのかもしれません。 でも、その事と歴史研究家の真理追究の責務とは別問題かもしれません。 真理は真理として精力的に追究しなければならないでしょう。  真珠湾攻撃研究専門家の一部には、国あるいは軍の行動や国際条約、さらには正式の声明や命令書を重要視する方々も居るかと思いますので、米国の連邦議会の正式な議決等を完全に無視する事も、知的に完全に賢明な策とは言えないかも知れません。

以上








# by a_kubota1 | 2007-03-27 02:32
2006年 10月 17日
宮島俊将論文とポピュリズム





宮島俊将論文とポピュリズム
2006・10・16

窪田 明著


先日、インターネットで色々な資料を点検している際に、宮島俊将氏の書かれた“ポピュリズムの観点からみる小泉政治”と云う記事を発見し、大変興味深く読ませて頂いた。 非常に立派な政治学研究論文であると思った。 其処でのポピュリスムの定義に関しては、拙著(「検証・小泉政治改革」)が引用されて居た。  

小生の持論は、日本語で使われている英語の表現の一部は、和製英語であったり、又は、部分的に和製英語的であると云うものである。 従って、其の問題に関して、宮島論文を点検させて貰い、その結果を此処に紹介させて貰いたい。 政治学研究では、外来語が頻繁に使われるが、そう云った単語が正確に使われるか否かは、その様の研究の正確性自体に影響を与えるかもしれない。 或は、その様な研究が、英語とか外国語に逆翻訳された際に、その内容の一部が海外で誤解されるのではないかと云う問題が生じる。 又は、少なくとも、基礎的な術語が正確に掴まれないそすると、相互の意思疎通に多少の障害が生ずるかも知れない。

結論的には、宮島氏が主張する様に“小泉政治はポピュリズムである”と云う最終結論は正しいと思う。 多くの日本の政治学者は、その様な結論を支持するであろう。 ただ、小生は、その際に、一つの条件を付けさせて貰いたいのであって、それは、「ポピュリズムと云う用語を日本的に解釈するとすれば」と云うものである。 それは、何故かと云うと、そう釈明しないと、多分、多くの北米の政治学者とかジャーナリストが、その真意を掴む事が容易に出来ないからである。 元々、ポピュリズム(populism)と云う表現は、政治史上の問題を除くと、北米の専門の政治研究者の間では余り使われない表現で、その様な意味では、populismは、popular, populistとかpopularityと言った表現とは多少意味が異なるからである。

筆者の受ける印象は、日本で現在使われて居る“ポピュリズム”と云う表現は、その一部の重要な面で、日本製の様なのである。 詰まり、日本で、小泉劇場政治と云う、日本の近代史では比較的に珍しい現象を目撃し始めた際に、何か新しい術語が大衆心理学的に必要となった様で、その様なダイナミックの需要に応じで登場したのが、“ポピュリズム”らしいのである。 そうして決めた後になって、米国とか欧州の過去の歴史的事件を利用して、その外国語的表現の正当性を支えようとして居る様に見受けられるのである。 又、逆説的に説明すると、欧米人とっては、小泉政治現象は、非常に遠い外国の国内問題であり、その様な異国の大衆心理学には、余り関与して居ないのであって、それに対しての新造語の心理的な必要性も余り感じないだろうと思う。 欧米の学者・ジャーナリストで、1890年代に、米国で起こった“ポピュリズム”と現在の日本の小泉“ポピュリズム”が酷似して居ると主張する人は余り数多く居ないだろう。

尤も、日本での“ポピュリズム”の出場は、米国のレーガン現象に戻るかもしれない。 あの俳優にしか過ぎず、政策的に極めて貧弱であると多くの知識人から見下されて居たレーガン大統領(1981-1989)の米国内での大変な人気の特徴とか原因を説明するものとして、日本で使われ始めたのかも知れない。 因みに、筆者は今でも、太平洋を往復しているので、北米の図書館で実際に調べて見たが、英語の文献では、レーガンの政治スタイルを評して、“ポピュリズム”と性格付けるものは、殆ど見当たらなかった。 小生は、言語学者でもないし、マスコミに於ける流行用語の起源を特に研究した訳でもない。 従って、これは憶測にしか過ぎないが、北米のジャーナリストの多くにとって、“ポピュリズム”と云う表現は、政治家としてのレーガンの信条とか政策的立場を説明するものとして、彼等にとって、ある程度の違和感を感じるものではないかと思う。 米国式のポピュリズムは大体、左のものであり、それに対して、レーガンは一般に右の人と解釈された。

宮島論文では、余り強調されて居ないが、歴史用語としての“ポピュリズム”の一つの特徴は、其の一中核要素として、階級性を強調して居る事に有るのかもしれない。 此れに対して、レーガン政治は、必ずしも明確な形で、階級的ではなかった。 精々、ややぼかした形の階級性を示したに過ぎなかった。 貧乏人を組織化して、その上で、金持ちに挑戦し、富をなるべく平等に分配すると云う形が、“ポピュリズム”の真髄であるとすれば、レーガンの主張の実例は、「権力をワシントンか隣近所に取り戻す」とか「連邦官僚制度の打破」と言った式の間接的なものに過ぎなかった。 又、米国のマスコミにははっきり浮き出されなかったかもしれないが、レーガンは、民主党が黒人とか労働組合に余りに便宜を計りすぎたと云う一般大衆が持って居た不満を効果的に追求した様だった。 レーガン時代には、労働組合員の共和党投票者が多いに増えた。 日本では、今でも、田舎では、前近代的な浪花節調が受けるかも知れないが、米国の田舎では、カウ・ボーイ調が特に住民の反感を買う訳でもない。

小泉政治でも、其の階級性は、それ程鮮明ではない。 彼は、昔の日本の社会党の様な綱領で、下層社会を動員しようとした訳ではないので、その点では、米国史の“ポピュリズム”とは異なる。 小泉氏は、それよりもっと高い政治目標に直接に当たって行った。 歴史的な米国のポピュリズムでは、貧しい農民を纏める仕事から始めたも知れないが、小泉氏の場合には、貧乏人を素通りし、党の派閥とか政府の公社に最初に手を出し、それらを攻撃する事で、草の根を動員しようとした。 順序が逆なのであった。 「自民党をぶっ壊せ」から始めた。 恐らくその真意は、自民党の派閥構造に対しての本格的な攻撃であり、そして、退陣約一年前では、郵政民営化と云う大変な試みを遂行した事である。 彼は、劇場政治的に、日本の一般大衆を“踊らせた”が、其処で操作された刺激剤は、金銭関係ではなく、政治過程への大衆の参加であった。 その様な意味では、米国のルーズベルトのニューデイールよりも保守的だった。 米国では、人気のある政治家をpopularと性格付けるが、現代の問題として、人気のある政治家の行なう政治の形態を populism とは滅多に呼ばない。

新造語が一マスコミ文化圏内に導入される過程は、今の処、日本でも北米でも、余り実証的に綿密には研究されて居ない様である。 その様な問題に多少でも光を当てる意味で、もう一つの造語の例を此処に紹介させて貰おう。 それは、“ガッツ・ポーズ”(guts pose?)と云う表現であって、ゴルフとかテニスで大勝利を収めた選手が為す動作である。 手を前に出し、拳を堅く握り、前後に動かし、気炎を吐くと言ったもので、日本の多くの新聞雑誌に紹介されて居る。 しかし、此の”ガッツ・ポーズ“と云う表現は、筆者が調べた限り、北米英語には存在しないのである。 どうやら、実は、純然たる和製英語の様である。 此の動作は、伝統的な日本のスポーツである相撲、柔道、剣道等では使われて居らず、日本の文化にとっては、比較的に新しいものである。 従って、日本のマスコミ人にとって、其の新しい現象に対しては、新しい対応が必要となり、どうやら、その際に、”ガッツ・ポーズ“が斬新なものとして動員され、それがヒットしたのであろうと云うのが筆者の想定である。

尚、筆者の了解は、言葉は生き物の様なもので、それ自体の内的な独自の成長過程のダイナミックスを持って居る様で、必ずしも、政府とか、権力の保持者が100%完全に制御出来るものでないと思う。 それから、筆者は別に「日本語から和製英語を排除する事」を強く主張して居る訳ではない。 英語が世界中に広まり、世界の様々な民族が実際に使うと云う事になると、どうしても、それは、ある程度は避けられないと思う。 例えば、Pidgin English等は、最近は、公的に認められつつあるのが現状の様だ。 だだ、和製英語に関しては、二、三の現実的問題がある様だ。 その一つは、一体、日本のマスコミの世界に多数居る筈の文章の校正者とか検閲者は、此の問題に対して、明確な政策を持って居るのか否かだと云う問題である。 日本の様な偉大なるマスコミ文化の世界では、此の問題が完全に放置されているとは考え難い。 もう一つの点は、和製英語であるとか其の疑いのある表現は、何らかの形で、マスコミの世界に於いて、明確に確認し、その様なものとして、説明し報道する責任があるのではないか。 若し、その作業を完全に省略するとすると、日本人と英語圏の人々の意思疎通が多少困難になるのではないか。 現に、我々が、「小泉政治がポピュリズムである」と云う際に、“ポピュリズム”と云う表現が、和製英語であるのか否かと云う問題は、其の様な問題を適切に把握する為に不可欠ではないか。

宮島論文が小生の定義を紹介する際に、もうチョット強調して頂きたかったと思った面の一つは、日本の政治用語としての“ポピュリズム”は否定的な面が、米国の其れよりは強く、そして、もっと具体的には、迎合主義が批判されて居る点である。 詰まり、多くの日本の政治学者とか評論家にとって、迎合主義と云うものは、ご都合主義であり、多くの面で、倫理的に望ましくないものであると云うものらしい。 小生の知り限りでは、北米では、この点に付いては、大体、其の正反対の立場が主流であろう。 多くの北米の選挙民にとって、政治家が、御用聞きの格好で、市民の票を集めようとする事は、ほぼ、当然と見なされて居るであろう。 日本の場合には、一部の政治家によると、政治家の信条、政策、人格、経歴、年功等が投票判断の基準になるべきであると考えて居る様だ。 肝心な点は、仁を完全に理解する政治家と云う事か。 日本の政治が、今でも、儒教に影響されて居るとすれば、儒家の著作物から判断すると、儒教的世界では、選挙の結果が、政治に強く影響するとは期待されて居ない様だ。 孔子の時代には、勿論、選挙制度も存在しなかった。 流行歌手の様な人気を持った政治家は、軽視されるべきだと考えられて居る様だ。 政治は、もっと、高いレベルの厳粛なものと見なされて居る様だ。 英国の政治家・学者エドモンド・バークも、世論を機械的に尊重する方針には反対の様だった。

宮島論文の最後の部分で触れている問題は、政治家のタレント化である。 詰まり、人気のある流行歌手の様な人物が、一国の最高政治指導者になってもかまわないのかと云う問題である。 一般的に、日本の政治学者とか評論家は、その様な人物に対して批判的であるようだ。 その様な傾向を嘆く書物は多少出版されているが、その様な傾向を褒めるものは皆無に近い。 確かに、流行歌手の様な人気だけでは、首相としての仕事は旨く勤まらない。 それ以外に政策とか其の他の面に関しての能力も不可欠だ。 しかし、筆者が、完全に理解出来ない問題は、日本の政治学者とか評論家は、一般に人気の重要性を過小評価して居る様な印象を受ける事だ。 人気のある政治家の出現が、“ポピュリズム”又は迎合主義と云う表現で、やや否定的に洗礼され、その肯定的な面はやや不当に過小評価されて居るみたいだからだ。 博識であって、人格があっても、人気のない政治家の死体的政治実情は、あまり問題になって居ない様な印象を受ける。

人気のある政治家は、多くの場合に、必然的に、政治力がある。 小泉首相が、郵政民営化で示した様に、総選挙に圧倒的に勝ち、大きな改革を進め、派閥構造を弱め、抵抗勢力を縮小化する事が出来た。 大変な業績の様だ。 小泉内閣は五余年続き、日本の戦後の内閣としては、明らかに、長期的なものの一つだ。 欧米では、政権は、一般に、もっと長く続行し、十年以上続行するものもそれ程希ではない。 日本の政治で改革すべき点は未だ多く残って居る様だ。 大衆の政治力の国政過程参加に関して、日本の場合には、まだまだもっと進展する余地がある様に考えられてならない。

以上

***

宮島論文のURL

http://www.law.tohoku.ac.jp/~kawato/lec2006/Sem2006.htm
http://www.law.tohoku.ac.jp/~kawato/lec2006/Miyajima.htm

***
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又は
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# by a_kubota1 | 2006-10-17 03:58
2006年 10月 13日
真珠湾攻撃、大杉さん



大杉一雄さん、返答、20061011

2006年10月11日
大杉一雄様
真珠湾研究

沢山興味ある質問をして頂き有り難う御座いました。

インターネットでは、大杉さんが2006年4月25日に投稿されて居る様ですが、小生は、2006年10月11日の本日まで、発見出来ませんでした。 どうやら、小生の最初の投稿文が、何回も引用され、原著者が、その様なものを追跡続ける事が困難な状態の様です。  インターネットもある意味では便利ですが、時には、その索引はジャングルみたいです。

窪田
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『真珠湾攻撃 気になる若干の事項』について
真珠湾攻撃問題についてはスティネットの本が出て以来余り問題になっていないと思っていましたところ、先日偶然、遅ればせながら、貴著を発見、購入拝読しました。小生は専門家ではありませんが、日米開戦について色々勉強しているものです。しかしいわゆる陰謀説には余り重点をおかず、むしろ政治外交過程に関心がありました。しかし折角の機会ですので若干の点についてご教示いただければと思います。
(1)陰謀説が成り立つのであれば、なぜ米側は迎撃しなかったのでしょうか。あのような損害や屈辱をあえて受けなくとも、ルーズベルトの目的は十分達せられたはずです。スティネットもこの点を衝かれてまともに答えられないようでしたが(『諸君』01年1月号?)。
***
此れは確認と云う事になりますが、「迎撃」と云う事は、「攻撃を事前に知り、戦闘行動開始前に真珠湾外に出陣し、其処で始めて開戦」と云う事でしょうか。
米国政治を勉強しますと、その様な戦闘形態は、大衆社会心理学的に政治宣伝的にその意義が大部分失われると思います。 当時の米国国内政治にとって、真珠湾攻撃のミソは、奇襲と云う事にあると思います。 詰まり、「迎撃」ですと、「事前の予知」が存在し、「奇襲」でなくなりますので、その道義的動員効果が、ほぼ死滅する訳です。 と云う事は、「あの道義性に致命的に欠けるじゃップが大変汚い(infamy)形で戦争を仕掛けて来たので、正義の国である米国の為に、立ち上がって呉れ」と宣伝出来なくなるからです。 ハル国務長官も通告の遅れの恥を大変強調しています。 米国政治史では、南北戦争とか米西戦争で、如何に相手が「汚い」形で攻撃してきたかと云う事を其の後の戦争動員宣伝に極めて効果的に使っています。 此の様な解釈を支持する歴史家の一人は、Hofstadterと云う人です。 その当時の米国社会に於ける非白人迫害の一つの大きな理由が「彼等は道義的に劣る」と云う社会的な俗説に基ずくものでした。
それから、米国憲法では、議会は宣戦を決定出来ますが、行政府(大統領)は、出来ません。 従って、迎撃の前の公開の形での議会議決は、政治的に無理だと思います。
それから、小生の知る限りでは、真珠湾で沈んだ船舶艦船は殆どその全部が又引き上げられ、第二次世界大戦に再度活用された様です。
ルーズベルトが知って居たと云う事での一番強い証拠は、FBI長官のフーバーの残した伝言です。 フーバーの仕事は、1941年頃迄、安全保障問題も含み、米国政府の最高の情報関係の地位でした。 或は、ルーズベルトはフーバーを嫌ったのか、間もなく、CIAの先駆組織を作り、別の人物をスパイ関係の仕事に使い始めました。

小生には、「証拠がない」と云う記述に、しばしば当惑します。 「私は陰謀説の許可した」と云う様なルーズベルトのメモを探して居ると云う事でしょうか。 「証拠がない」と云う表現の厳格な定義がありませんと、此の問題をいくら議論しても無駄だと思います。
窪田
***
(2)英が米を戦争に引き込みたかったことは当然であるし、ルーズベルトも大西洋で事実上の対独戦争(undeclared war)を行なっていました。しかしこのころドイツの対ソ戦の見通しは暗くなり、英国も最悪状態を脱しつつあったのですから、米国とすれば対英援助を拡大しつつ情勢を観望しておればよいのであって、あえて対独戦に踏み切らねばならない情勢にあったかどうか疑問を感じます。大統領が裏口参戦を考えたという明確な資料はなく、状況証拠でしか判定できないようです。
米国の戦略としても、二正面作戦は避けたいのは当然であり、そもそも日本から米国を攻撃した場合、三国同盟上はドイツには参戦義務はなかったのです(同様に日本も独ソ戦参加の義務はなかった)。現実のヒトラーの参戦動機は謎とされ、絶望感からというドイツの歴史家もおります(ハフナー『ヒトラーとは何か』草思社)。
***
真珠湾攻撃に関しては、当然の事ながら、日本の多くの方々は、主に、其の本質は、日米問題として考える様ですが、小生の考え方は、其れは、もっと正確には、米国の対欧州政策の一部の様に思われます。 詰まり、多くの、欧米の歴史家の多くの説は、当時の欧米首脳の考え方として、欧州第一で、日本を第二義的扱って居た様です。 日本製の世界地図では、大体アジアが真ん中で、北米、欧州は、辺境地です。 欧米の地図では、大体大西洋が真ん中で、日本は、極東の隅に存在します。 当時、欧米の首脳は、日本の方は、弱いので何とかなるが、問題の焦点はドイツで、其処をなるべく早く攻撃したいというものの様でした。 宣言されない米独戦争はその当時既にかなり激烈だった様です。
確かに、独は、その当時対英的には、一段落の様に見えますが、其の陰で、大変は諜報戦が行なわれて居り、英のチェンバリンその他は、英国の降参の方向を考えて居た様で、それに、毅然と反抗したのが他ならぬチャーチルです。 でも、彼は、英国内にも政党的基盤もなく、裸一貫で、一匹オオカミみたいは存在で、彼が頼る事が出来る唯一の盟友は米の訳です。 その当時、米国の最高補佐官は英を訪れていますし、チャーチル自身が、米国入り浸りです。 そして、チャーチルは、その際、巧みに、中国問題をその外観に使いましたが、本当の理由は、日本に、開戦以外の選択肢を与えなかった事を望んだ為の様です。 此の突然の対中英政策の前にも後にも、チャーチルは親中的ではありませんでした。 その当時、欧州の主要国で内で、独に占領されて居ない国は英だけでした。 風前の灯火でした。 英国の歴史家の多くは、第一次世界大戦で連合国側が勝利を収めた主な理由は、米国参加でした。 そして、其の後の第二次世界大戦の際には、米の物量中心的な戦略論に大変期待して居ました。
ヒットラーの方は、小生の専門外ですが、彼は、独裁者でしたし、本当の意味での実権の持って居た人でしたから、ヒットラー自身の個人的な心理分析を行ないませんと彼の決断過程を正確に掴めないと思います。 詰まり、歴史的な国際的力関係など、ヒットラーに、ある程度しか影響力がなかっただろうと想定します。 対ソ独戦争開始では、独は、日本にかなり叱られただろうと言う事とか、真珠湾前後の日本の最初だけの大変な軍事的成果に迷わされたのかも知れません。 多くの日本の研究家が、大杉さんの様な考え方を支持して居る様です。
真珠湾の六ヶ月後に、日本海軍はミッドウエイ海戦開戦だ大敗します。 歴史家で、ミッドウエイで勝負は有った判断する人も居ます。 今度は、米国の待ち伏せ奇襲攻撃の成功です。 真珠湾では、大失敗であった筈の米国の情報集収能力が、奇跡的に回復したと云うのでしょうか。 それとも、持って居た力を人為的に十分発揮して居なかったのでしょうか。 

窪田
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(3)米国が日米交渉に応じ日米諒解案、6月21日案、仏印中立化案などを提案してきたことはやはり評価すべきでしょう。米国の対日強硬策が日本の南部仏印進駐以後であることは、もっと注意されるべきです(石油禁輸に対する自衛戦争論を強調する人は、仏印進駐のエポックを無視するのが常です)。日本が仏印から撤兵さえすれば歴史は変わったと思います(ルーズベルトの天皇宛親電も仏印撤兵を訴えていました)。勿論米国側の開戦責任も無視できません(この点については『中央公論』05年11月号の拙稿をご参照ください)。
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米国の高官が、対日交渉の一面をかなり誠意的に行った事は間違いのない事です。 小生等、北米生活は長いですが、そう言う事で非常に洗練されて居る方に会う事もあります。 ただ、誠意の程度に関しては、日米社会では、多少異なる様です。 そして、残念な事に、欧米の社会では、中には、実際には、Aを狙って居ても、涙ぐましい努力をして、Bを狙って居るような外見的印象を巧みに与える人もいます。 大変芸術的に素晴らしいです。 そう言う事で、特別な能力を持って居る人も居り、本当に感銘させられます。 英語にはred herring とかcoverなどと言う様な表現もあります。 小生は、姉妹都市関係の仕事もしましたが、一つ困った事は、名目は国際親善であっても、実質は、「濡れ手に粟」みたいな商売を狙って居る北米人が思ったより多くその様な道を選ぶ事です。 部分的には、米国側は、誠意的に努力したかもしれませんが、全面的には、「始めから余り見込みのない交渉」だったのではないでしょうか。 確か「吉田茂の自問」と云う本にその様な結論が出て居ました。 米国人でルーズベルトの「誤魔化しの交渉」と攻撃する人は、 Charles A. Beard とか Hamilton Fishでした。 当時の米マスコミもその様な可能性をある程度報じて居る様です。 ルーズベルトもそう言う批判にかなり神経質になって居た様でした。
窪田
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(4)大西洋上における両首脳の会談は、従来の研究では、もっぱらその対日強硬姿勢のみが強調されていますが、仏印中立化提案もルーズベルトから説明され、チャーチルも賛意を表しています。両者の合意が8月17日に「対日警告文」として野村大使に手交されましたが、それはハルによってチャーチルと協議したときの文案より穏健なものに修正されたものであり(福田茂夫『米国の対日参戦』)、冒頭に「仏印中立化」を謳っています。ただこのとき両者が腹蔵なく意見を交換して枢軸打倒を誓い、戦後構想をねったことは大西洋憲章に明らかで、このとき以心伝心、米英間に同盟が成立したといってよいでしょう。
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大西洋憲章は、大衆心理学的には、大成功だったと思います。  民主主義を守るとか国際連合を作る事で、これで、世界的に来る戦争の英米側の大義名分を明確にしたと思います。 大衆宣伝に関しては、ルーズベルトは天才的だったと思います。 ハリファックス会談では、以心伝心以上の事も起こって居り、その一つは、此の時点以降、英米の参謀長は共同で作戦を練って行くと云う正式な了解が成立しました。 それから、当時の現地の新聞に英米の対日共同作戦の噂が報道されて居たとの事です。  火は確認されなかったかも知れませんが、多少の煙は出て居た様です。
当時の日米交渉の一つの不思議な点は、世界の最強とそしてその次に強い国と云う二つの国が、共同で、二流国の日本と交渉している点です。 一般に、強い国は、自分の損得に敏感で、第二に強い国(英)が第一に強い国(米)に、交渉を任せると云う事は、歴史的に大変異例で、何か特別な理由がある筈です。 それから、外の現地、例えば、東京とかロンドンでの交渉は禁止されており、英国の駐日大使はチャーチルと対立し、確か処分されて居ます。 此の方は、現実外交の秀才と言われた人の様です。 駐日米大使グルー氏も、非常にぼやかした形で、日米間の妥協は可能であったと主張して居る様です。 真珠湾に関しては、随分あやしい要素は沢山あります。 これ程、陰謀説に悩まされて居る歴史的事件は余り例がないと思います。 仮に、日本では、陰謀説を潰す事は可能であったとしても、小生の判断では、北米では無理の様です。 
窪田
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(5)日米開戦にチャーチルが喜んだのは当然ですが、彼の蒋介石を見捨てられないという電報だけで、暫定協定の提出を取りやめたとも考えられません。このあたりについてはご引用文献のほか、エドウイン・レートン等『太平洋暗号作戦』(TBSブリタニカ)にもあります。同書によれば英当局により75年間非公開とされている重要電報が存在するとのことですが、これが英側に解読された日本海軍機動部隊のハワイ出撃命令であったとしても、なぜそれが米側に通知されず、されたとすれば、なぜ米軍が邀撃しなかったのかという、当初の疑問が残ります。真相は不明というか、この解明は小生の能力を超えますが。
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チャーチルが本当に心の奥底から平和的解決を望んだとすれば、チャーチルは、真珠湾攻撃で怒った筈ではないでしょうか。 他国の首府に長期滞在まてして、身魂を費やして、開戦の方向に操作した指導者は、真珠湾攻撃のニュースで、大変喜ぶのは当然ではないでしょうか。
ルーズベルトは、確か1920年代に、海軍省の次官であり、対日米戦争の作戦を作る責任者だったと思います。 その当時の英国の軍事専門家は、真珠湾攻撃付いて出版もしていますし、ルーズベルトはその様な人々と公開討論もして居ます。 と云う事は、真珠湾が陰謀でないとすれば、ルーズベルトは、その様な過去の彼の海軍に付いての博識を全部忘れてしまったと云う事でしょうか。 確か、真珠湾を拡大し、職業軍人の反対を押し切って、其処に、多くの軍艦を派遣する事を決めたのはルーズベルトです。
窪田
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(6)日本をして最初の第一発を撃たせるという謀略はありました。
貴著には出ていませんが、開戦間際の12月3日、南シナ海に米国旗を掲げた小型船3隻をオトリとして出撃させたイザベル号事件です(戦後の査問委員会にて公表-『歴史と人物』83年増刊号)。しかし日本軍の反応なく失敗しました。ハル・ノート後米国は日本の軍事力行使を予想していましたが、まさか真珠湾にまでは、と油断していたのが真実ではないでしょうか。
小生は、ルーズベルトの責任を問うとすれば「真珠湾」からではなく「日米交渉」の中に求めるのが本筋という立場で、その過程は2003年上梓した『真珠湾への道』に可なり詳しく書いたつもりです。拙著については参考文献に挙げて頂いておりますが(副題は異なっています)、後半の松岡外交以降のところだけでもお目を通していただければと思います(前半は日中戦争解決策)。貴著において問題として指摘されている点も可なり言及しているつもりです。
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イザベル号事件に付いては、聞きましたが、歴史的に、あまり重要だとは思えませんでした。 小生には、もっと重要な点は、Beardその他の政治批判者の「憲法迂回」の議論の様に思います。 それから、確かに、真珠湾を日米交渉の一つの点をして、取り扱うのは、意義のある研究方法だと思います。 若し、その様は包括的研究が適切であるとすれば、日系人強制収容の事件も、同時に取り扱うべきかもしれません。 一部の研究者は、此の人権侵害大歴史事件は、真珠湾攻撃に関係して居るのではないかと疑っています。 日本の真珠湾攻撃研究で日系人問題に触れるものは少ないです。 此れも、日系人迫害などと言う題目を避けがちであった米国の主流的研究家の対日影響でしょうか。
大杉先生の高著を利用させて頂き大変有り難う御座いました。 正式には、
大杉一雄著
「真珠湾への道 開戦・避戦9つの選択肢」(東京: 講談社、2003年)
でしょうか。
窪田
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(7)ほかにもお聞きしたいことがありますが、第九章の、現在の米国に対する考え方にはまったく賛成です。ルーズベルトはかなり前から「米国人の重荷」を意識していたように思われます。その方法は高飛車であるところに問題がありましたが、日本の対応策もまずかった。開戦責任は相互にあるというべきです。
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前掲の世界地図の話に戻りますと、かなり誇張しますと、どうやら、世界史的には、真珠湾は、主役は米独で、日本は、そのとばっちりを受けた気の毒な被害者の様です。 あの外交研究の巨匠のケナンなども、真珠湾以前の対日米外交政策の無理な点を指摘して居ますし、彼の議論は、開戦・避戦の選択肢は、米国にあって日本にはなかったと云う事の様です。 ただ、彼も、世界の警察官としての米国の役割を認めて居る様です。 米国が、現在、イラク、アフガニスタン、北朝鮮等でやって居る事柄を目撃しますと、「米国は、未だ、手探りの状態を脱出していない」と云う様な感じでしょうか。
色々ご指導頂き大変有り難う御座います。
窪田
2006・10・11
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Posted by: 大杉一雄 | Apr 25, 2006 12:06:38 PM



# by a_kubota1 | 2006-10-13 14:00
2006年 06月 18日
窪田 明の東京での講演





東京財団の場所、其の他、2006/06/16

窪田 明の東京での講演

聴講の為には、前もって、登録する必要ガあります。 登録するのには、インターネットで、東京財団の申込書に記入する必要があります。 そのURLは、下記しました。


東京財団・虎ノ門DOJO事務局〒107-0052東京都港区赤坂1-2-2日本財団ビル3階電 話03-6229-5501ファックス03-6229-5505



第241回7月31日(月)12:30~13:45窪田明東京福祉大学名誉教授、元カナダ・ウインザー大学政治学準教授、政治学博士「政党総裁の選び方-日本とカナダの差」2階



東京財団URL
2006/06/16

講演の予定
http://www.tkfd.or.jp/events/dojo/index.shtml
tested successfully on 2006/06/16

参加申し込み
https://blue.tricorn.net/tkfd1/mbr1.x
tested successfully on 2006/06/16


# by a_kubota1 | 2006-06-18 04:46


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